死と生とを同時に見つめて…、の巻

 今朝起きてみたメールに、僕の高校時代の後輩のお父様が亡くなられた、という文がありました。昨日届いた年賀状には、後輩とその旦那様、そして夏に生まれたばかりのお子さんの幸せそうな写真が載っていて「幸せそうにしているなぁ…。」と思った矢先の話でした。何でも、癌でなくなったとのことで、告知されたときは、もう長くない、といわれていたそうです。直接後輩のお父様とは面識はないのですが、年齢はおそらく50代。まだまだ、これから、という年齢です。僕の叔父も40代でなくなりましたが、やはり実父ともなると、悲しみも計り知れないものがあるんだろうと思います。せめてもの救いは、娘の花嫁姿がみれたこと、孫の顔が見れたこと、そして、越せないかも、といわれていた年を越したことでしょうか。「生ある者は、必ず死ぬ。」という禅問答がありますけれど、それにしても、あまりにも早すぎる、酷な話だなぁ、と思いました。もし自分がその立場に立ったときのことを考えると、とてもではないけれど、気丈に過ごすことは出来ないんじゃないのかなぁ?と考えたりします。今こうしている間、隣の部屋では両親が蜜柑を食べながらテレビを見ていますけれど、こういった何でもないことが、一番幸せなことなのかもしれないなぁ、と感じさせられました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 その一方で、今日大学時代のゼミの先生から年賀状に、「12月に父親になりました。」という文が。皮肉にも、逝去の知らせと誕生の知らせが、僕のところに同時に来たわけです。先生は3年前に僕の2代前のゼミ生と結婚され、(その奥様が、どうも熱烈なラブコールを送ったと聞いています。余談ですが、一度お会いしましたが、ものすごい美人です。)この間お会いしたときも、「そろそろ子供も…」とお話しになっていたのですが、本当にお子様が生まれるとは…。印刷の方は間に合わなかったみたいで、お子様のお顔を拝見することは出来なかったのですが、文字から幸せそうなところがにじみ出ていました。先生はたしか今年44歳になられるのですが、これからにぎやかな家庭になるようで、そのうちおじゃまして、お子さんのお顔を拝見してこようかと考えています。
 今、こうやって書いてみると、「いのち」というものをまじめに考えさせられました。生まれた以上、死ぬことは、現代医学では不可避です。せめて、生きているうちに、やりたいことを一つでも多くやって、死ぬときに「この世に、悔いはない。」といいきれる人生が送れたら…、とまじめに考えさせられた、今日この頃です。命といえば、僕自身、先日集団検診で、ちょっとしたエラーが発生したんですけど、今日改めて精密検査をしたところ、「異常なし」とのこと。とにかく、せっかくいただいた命なのですから、大事にしなくては、と考えさせられました。